個人病院|自然分娩|1人目|女の子|立ち会い有
2011年に女の子を出産したY.N.さんの体験談です。
産前の準備はしっかり
私は里帰りも産後のお手伝いの予定もない出産でした。当時、夫は激務で帰宅は遅く、休みもきちんと取れない状態で不安だらけ。でも「これじゃあいけない、母になるんだから」と腹をくくり、インターネットで情報収集。産前の準備に力をいれました。
まず、産後1か月間は極力食事を作らなくていい状態にしました。 母乳のことを考えた和食中心の手作り冷凍食品で、冷凍庫をパンパンに。 お米は無洗米に変え、おにぎりもたくさん冷凍しました。炊き込みご飯のおにぎりは、栄養が取れる上に片手で食べられるので本当に良かったと思います。 洗い物を極力減らすため、紙皿、紙コップを用意。 産後すぐに来てもらえるようにと、妊娠中に産褥ヘルパーの契約をし掃除をお願いしました。洗濯はためても大丈夫なように、赤ちゃんの下着を多めに用意しました。
陣痛は来たけれど、いったん帰って雑巾がけ
2011年10月21日、朝10時、お昼寝から覚めると陣痛らしきものが。時間を計ると7分間隔でした。陣痛を疑うも、2週間ほど前から前駆陣痛が続いていたので確信が持てずにいました。 30分が経過し、痛みが強くなって陣痛だと確信。夫に仕事から帰ってきてもらい、病院にも連絡を入れました。しかし「2時間くらい様子を見て5分間隔になったら来て下さい」とのこと。思った通りの返答だったけれど病院に行けないことにがっかりしてしまいました。 体力勝負だと思ったので、岩のように丸くなり、なるべくしゃべらず体力を温存し、ご飯をしっかり食べ痛みと戦いながら2時間をしのぎ、5分間隔になったので歩いて病院に向かいました。普段なら歩いて10分くらいの距離。お産を進めたい一心で倍くらいの時間をかけ休み休み時間をかけて歩きました。やっとのことで病院につき、もうすぐ産めると思ったのもつかの間、「子宮口の開きが3センチでまだまだ時間がかかるので 家に戻り家事などをしていたほうがいい」と言われました。家に帰り、痛みと戦いながらひたすら雑巾がけをして3時間を過ごしました。再び病院に行くときにはもう歩いて行ける状態ではなくタクシーで向かいました。
陣痛の痛みで思わず絶叫。そして分娩台へ
陣痛感覚は3分。子宮口の開きは7~8センチ。夫に腰をさすってもらいながら、病院内を歩き回り子宮口をMAXまで開かせようと必死でした。 その間、腰のさすり方が悪いと終始怒っていたような気がします。 ひたすら歩いて、9センチまで進んだとき、先生にまだ痛みが弱いからと人工的に破水をすることを薦められました。さらに痛くなることが怖くてたまらないけれど、このまま長引くのも嫌なので渋々受け入れました。 痛みは強くなったけれど、まさかの微弱陣痛だとの診断。こんなに痛いのに、こんなに頑張っているのにと愕然としました。この時、夜10時くらい。いつまでかかるか分からないためと陣痛促進剤を使うことになりました。促進剤を入れてからは、さらに痛みがまし、病院中に響き渡るような声で絶叫していました。 「排便のような感覚になったら教えて」と言われ、早く生みたい一心で嘘をつくけれど見破られたりしながら30分が経過しました。
これだ!絶対この感覚だと思いナースコールをすると、助産師さんにもう1段階あるけれど分娩台に上がってもいいと言われました。もう動けないほど痛いのに、分娩台に上がっていいと言われると意外にすくっと立つことが出来て分娩台に自力で上がりました。
夫婦になって一番感動した日
出産って、本当に大仕事だった。陣痛も大変でした。それなのに、産んだ瞬間にすっかり忘れちゃうんだなって思いました。 母は強し! 女って本当に逞しい! 私たちのところに来てくれた大事な命にありがとう。 あんなに、八つ当たりをしたりしたのに、ひたすら一緒に頑張ってくれた夫。 一人じゃ産めなかったなって心の底から思いました。 夫婦になって、一番感謝した日でした。