個人病院|自然分娩|1人目|男の子|立ち会い有|里帰り出産
2007年に第一子の男の子を出産したJ.O.さんの体験談です。
安産の予言
5月に里帰り出産を予定しつつ、7ヶ月頃まで仕事をしていました。出産に関して本などもあまり読んでいなかったため用語や出産情報にも疎く、妊婦健診でもボーっとしていたところ、先生に「あなたみたいなボーっとしたタイプは、きっとケロッと安産ですよ」と初期の段階で予言されてしまいました。
32週の実家へ
32週頃から実家の名古屋へ里帰りしました。朝のウォーキングが日課の両親と一緒に、毎日4km散歩をしたことで運動不足が多少解消された気がします。実家でダラダラと甘えていながらとてもゼータクな話ですが、両親と自分の間で出産に関する考えや情報に隔たりを感じて、イラついたり口喧嘩をすることもしょっちゅうでした。
出産の3日前に「おしるし」があったので、いよいよかも!と慌てて入院の準備をしました。その日の夜から生理痛に似た痛みの波が始まり、丸二日してようやく痛みの間隔が10分置きになったので、実家から徒歩5分の病院へ・・・。夜道を母と歩きながら、陣痛が来るたび歩道のガードレールにつかまって「ふーふー」と痛みを逃し、腰を擦ってもらっていました。
まだまだ・・・のはずが!
病院に入ったのは、夜9時ごろ。先生に診てもらって「子宮口もまだまだなので、出産は明朝かな」と言われました。しばらく付き添ってくれた母も「とりあえず家で寝るね」と帰宅しました。
私も長期戦に備えるつもりで持ってきた小説を読み始めた途端・・・痛みの質が急変!お腹の中が「出ます!!」とばかりに、まるで体が裏返ってしまいそうな感覚!生暖かい破水の感触もあり、「ヒエ~~~っ!」と慌ててナースコールに手を伸ばしたところ、ボタンを落として手が届かないとこに・・・!!マンガみたいだ~と思いながら必死でコードを手繰り寄せ、なんとか看護婦さんに来てもらったのでした。
0時ごろ付き添い無しで分娩室に入り、1時44分に出産。
出産の最中・・・
分娩台って、リュージュとか競技用のソリみたい(イメージ)だなーとか、
「今の『いきみ』は良かった!」「少し休んで、もう一回がんばろう!!」とか、
周りで応援してくれて、自分もその気になっちゃってるなーとか、
そういえば、看護婦さん=コーチ、先生=監督、自分=選手みたいだな・・・とか、
どんどん出産がスポーツみたいに思えてきて、面白がっている間に「ハイ!出たよ!!」と、生まれていました。
すぐに「ちょっとおっぱいを吸わせてみましょう」と助産師さんが赤ちゃんを抱かせてくれました。初対面の息子に思わず出た言葉は「よろしくねー」でした。ギュッと目を閉じた小さな赤ちゃんは、それでもおっぱいを探り当てて、しっかりと吸うような口の動きをするので、これにはビックリ!もう生きるのに必要なものが分っているんだ~!命ってスゴイ!!初めて出産の感動を実感しました。
母、怒られる。
あっという間の出産ではありましたが、出血は多めで腫れも酷かったようで、裂けた部分を縫うのにかなりの時間がかかりました。縫われる時に初めて「イタイ!」と悲鳴をあげましたが、すぐに麻酔で緩和されホッ。
出産後に分娩室に訪れた両親。持ってきたカメラの電池は切れているわ、携帯のカメラの使い方は分からないわ、バタバタ大騒ぎ。縫合中の私にカメラの使い方などアレコレ聞いている母は、先生に「お母さん!それどころじゃないデスから!」と一喝され、しょんぼりでした。
夫の育休&お宮参りのあと、東京へ
翌朝、東京から夫が到着。夫と子ども3人で会えた瞬間、やっと一息つけた気がしました。その日は全身いたるところが筋肉痛。やはり出産はスポーツに似てる・・・かも?
退院後数日した頃、夫が育児休暇をとって再び名古屋へ。なんと11日も休みが取れました。夫も私も、ただ赤ちゃんを見つめお世話をする至福の・・・というより贅沢すぎるひと時でした。
結局1ヶ月半ほど実家にお世話になり、お宮参りを済ませてから東京へ。名古屋まで夫に迎えに来てもらい、帰りの新幹線は多目的室に近い最前列を予約しました。授乳やオムツ替えなどいろいろ心配しましたが、結局赤ちゃんはずっと眠ってくれて静かに移動ができました。
両親と夫にここぞとばかりに甘え、子どもが自分のタイミングで勝手に生まれてきた・・・今回書いてみて改めて「贅沢すぎる出産」だったなぁと感じています。家族みんなに感謝です。