【出産体験談】ジェットコースターの始まりのような陣痛

総合病院|自然分娩|1人目|女の子|立ち会い有


2010年に都立大塚病院で第一子の女の子を出産したA.U.さんの出産体験談です。

ちょっと早めの入院

異常な暑さが日本を襲った夏の終わりのことです。なかなか残暑が納まらず、大きいお腹で暑がりになっていた妊婦に誰も「もう生まれた?」と声を掛けづらくなった頃、予定日を4日超えて陣痛はやってきました。

私が出産の場所に選んだのは、都立大塚病院でした。ここは私自身が生まれた故郷であったし、その頃母が病気をしてこちらにお世話になっていたことも決め手のひとつでした。そして、何より出産費用が安いんです!都立ですから。家からは車で30分、電車で40分ほどかかります。

出産当日は既に2日前におしるしが来ていて、心の準備はできていたつもりでした。なのに、陣痛未体験の私は痛みセンサーMAX状態に構えていて10分ごとにくる弱〜い痛みに「これだ!!!」と若干パニック。4時頃、夫をたたき起こし車で産院へ直行。病院では、まだ生まれそうにないので、一旦帰宅することを勧められましたが夫が仕事の日で、独りで再来院するのが不安なのと陣痛室の空きがあり入院しました。

バラ色未来の妄想で痛みを忘れようと必死

朝9時には夫が仕事へ行かなければならないので、3人の出産経験のある義母が付き添ってくれました。昼ごろから、義理の妹2人もかけつけてくれて、強力なサポーターを3人もたずさえるも猛烈な痛みにグロッキー状態に。妊婦本で勉強した痛みを逃がす体勢や呼吸などを、色々試すのですが…どういったわけか痛みは逃げも隠れもしてくれません。義妹のお二人に恥ずかしい姿をさらしたくないのと、出産に対する恐怖を持って欲しくないという思いで、大声でわめき散らしたい気持ちを必死にこらえました。まだ、遠慮する余裕があったんですね(笑)交代で、ずっと腰をさすってもらっていた嫁の立場では感謝の言葉しか出せません。

強烈な陣痛の波が8時間ほど続いたのに、まだ子宮口全開に至らず、いきみを逃がし続けヘトヘト。そんな中、一番効果的だったのがこれから来るばら色の未来(?)を妄想することでした。だんなと娘と3人で楽しくピクニックに行く様子や、大好きな海で一緒に遊ぶ様子を一生懸命イメージしていました。痛みが逃げないなら、私が現実から逃げるしかないと…。

夜9時頃、「もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ!」「赤ちゃんだって頑張っているんだ!」と 自分で自分を励ましていたところへ、仕事を終えた夫がかけつけてくれました。 ホッとしたら体が緩んだのか、赤ちゃんも下がってきて分娩室に移動OKの指示をもらいました。

分娩台では少し余裕が

分娩台に上がって、一いきみ目で「パン!」と風船がはじけるような音がしました。助産師さんが「破水」だと教えてくれました。あと1時間くらいで生まれるとのこと。ゴールが見えたことで、気持ちも楽になり、陣痛の切れ間に助産師さんとたわいないおしゃべりを楽しむ余裕ができました。 助産師さんの指示通り1時間弱で娘誕生!

赤ちゃんと対面できたときの爆発的な幸福感は、無宗教の私でさえ神なるものに感謝したくなるほどでした。OH!MY GOD!(使い方違う?)出産を支えてくれた全ての人達にも感謝の気持ちが止まりませんでした。

赤ちゃんが出れば、痛いのおしまい!だと思っていたら、子宮内の忘れ物チェック。これが、また痛い(泣)気が緩んでいただけに、先生に悪態ついた覚えがあります。結局、切らずに頑張ったので少し裂けちゃったみたいですが局部麻酔だったのか、縫うのは全く痛くありませんでした。 出産はトータル17時間ほど。そこから試練の入院生活が始まるのでした。母乳育児推進の大塚病院では、まさにスパルタおっぱい強化合宿で、 天使のようなナイチンゲール達が、笑顔で母になりたてほやほやの私たちを鍛えてくれました。乳首が猛烈に痛かったのを覚えています。

夜中の授乳室で会ったママさん達と仲良くなることができて、今でも誕生日会を開いたりしています。同じ苦難を乗り越えた、戦友のような感じでしょうか。卒業する頃には、みんなジャンジャン出るいいおっぱいに仕上がっていました。 やはり出産は大変だったのですが、振り返るといい思い出になっていました。

今では娘も3歳。口が達者で言うことを聞かなくて、腹だたしいこともたくさんあります。 でも、この子が私を母親にならせてくれたことは「ありがとう」しか出てきません。ママになって価値観が大きく変わりました。 大変なこともたくさんあるけれど、これからも気張りすぎず、だけど丹念に、自分なりに一生懸命に子育てをしていきたいと思っています。